ネットショップのこと。
- -
- EC
お疲れ様です。
本日は吹雪の中、専門家派遣の仕事をこなしたAMAOTO代表の木曽原です。
専門家派遣で事業所から最も多い課題のひとつがネットショップへの参入について。
支援先の事業所に色々なアドバイスをしていて、新しい事を学ぼうとする姿を見て、約8年前の自分を思い出す事がある。
当時の自分はHTMLに少し理解があるだけの素人だった。
インターネットで物を売る事に関しては、結構早くからヤフーオークションを齧っていた程度だったが、ハローワークで見つけたネットショップの求人に、田舎でネットショップの仕事が出来る機会なんて滅多にないと、すぐに面接を受け、さらに企画書を提出し、入社する事が出来た。
入社当時の状況は、一週間に入る受注の数はスタッフ数(4人)より少なかった。
ぶったまげた。
すでに30代半ばだったので、半年間死ぬ気になってやって最低限の目標である100万を達成出来なかったら潔く辞めようと決めた。
会社と話し合い、スタッフは僕と受注担当の2人になった。
とりあえずは当時の販促の中心だったメルマガを毎日朝夕と2回目送る事から初めて、いつでも対応出来るようにとランディングページのデザインもやるようになった。
メルマガは内容によってはテキスト形式からHTML形式に変更したり、広告の勉強も始めた。
帰宅後も毎日午前3時位まで勉強した。
それに関しては、退職するまでの約6年間ほぼ毎日休む事なく続けた。
数ヶ月後には月商100万円を達成し、さらに半年後には月商300万円近くまでになった。
運も重なり、楽天うまいもの大会に参加させていただき、そこで師匠と呼べる人に出会えた。
2年目で月商は500万を超えた。
3年目にはあるブームに乗り、1日に2000件の受注があった事もあった。
あす楽対応してあったので固まった。
Amazonの受注保留数1000件を見た時もビビった。
相方の受注担当が相当頑張ってくれた。
いつでも僕のワガママに黙って着いて来てくれた彼女には本当に感謝している。
受注担当を軽視しているネットショップはもうひとつのユーザー目線ってやつを分かってないね。
スタッフが3人増えて5人になり、すぐに3人になった。
僕はちょうどその頃から専門家の仕事も並行して行うようになった。
家族に「先生になった」と話したら、全員が爆笑した。
まだ小さかった娘が爆笑していたのは、ちょっとショックだった。
専門家として活動していて、次第に独立してやってみたいと強く思うようになった。
年齢的にも最後のチャンスだと思い、意を決して家族に相談したら、意外と何の反対もされず、会社への引き継ぎも終わった2014年7月8日に開業届けを提出。
死ぬほど反対されるのは分かっていたので、自分の両親には事後報告。
ちなみに7月8日は娘の誕生日。
あっと言う間の6年間だった。
ネットショップを特別な別世界だと思っている人が相当数いると思うけど、実際は、他の業種と何ら変わりないかなと思っているし、実際そうだと思う。
手が届きそうな目標を立て、その目標を達成するために自分で決めた事は絶対にやる。
やらない為の言い訳は作らない。
納得するまでやり続ける。
多分、それが大切。