今回の記事はかなり前に書いてあった下書きの公開となります。
先日、惜しくも亡くなった私の最初のフットボールヒーロー、マラドーナとの出会いについて書きたいと思います。
マラドーナの出会い
私とマラドーナの出会いは、中学2年生の時、メキシコでワールドカップが開催されるということで、サッカーダイジェストなる雑誌を同級生の一人が学校に持って来ており、その表紙を飾っていた3人のうちの1人がマラドーナでした。
その他の二人は、紙面の上半分でメイン扱いだった、現バイエルン・ミュンヘンのCEOである、当時の西ドイツ代表のキャプテン、カールハインツ・ルンメニゲ。
下半分の左側に当時のフランス代表のキャプテンで将軍と言われたミシェル・プラティニ。下半分の右側がアルゼンチン代表のキャプテン、マラドーナでした。
はっきり言って最初の印象は、「こいつは本当にサッカー選手なのか?」といったものでした。同じく表紙を飾ったルンメニゲは短く整えらた金髪に鋼のような肉体で文句なしに格好良かったし、パンツからユニフォームをだし(当時では珍しかった)、ストッキングを下げて、長髪をなびかせているプラティニはファンタジスタの香りがしました。
一方、身長164cm足らずで小太り気味、天然パーマのボサボサアフロヘアのマラドーナはどう見てもスター選手には見えませんでした(笑)。
世界最高のドリブラー
しかし、実際にメキシコワールドカップが開催し、マラドーナのプレーを目の辺りにした私はすっかりそのプレーに魅了されていきました。
特に世界最高と言われたそのドリブルは、時に足の一部であるかのような時もあれば、時に10m以上前に蹴り出し、その体格とは見合わないスピードで一瞬にして相手を置き去りにします。
ドリブルは常に足元にボールを収めることが良いと言われることが多いのですが、例え何十メートル先にボールがあろうと、そのボールに一番最初にタッチできるのであれば、足元にあるのと同じ。
マラドーナのイマジネーション溢れるプレイは洗礼されたヨーロッパの他の選手とは明らかに一線を画するものでした。
何より、容赦ないラフプレーで倒されても倒されても(マラドーナ・サンドイッチという言葉が流行りました)、前へ前へと突き進む姿に胸が熱くなったのを今でも覚えています。
マラドーナが自身の後継者として指名した、アルゼンチンが産んだ【もうひとりの神の子】リオネル・メッシもそうですが、何もしてないのに、相手が勝手にバランスを崩すような場面をよく見かけますが、スローで見ると実に細かい重心移動やフェイントを入れているのが分かります。トップスピードでそのようなプレイができるのは、技術だけでなく、状況判断能力や動体視力が高いからなんでしょうね。
あと、素晴らしいドリブラーは皆、ボディバランスが素晴らしく、ちょっとやそっとでは倒れないし、バランスを崩しても数歩で立ち直って再びトップスピードに乗ることができます。
ネイマールがスカウトされたのは、サッカー場のスタンドで、そこで遊んでいた子供たちの中で、一人だけ異常にボディバランスの良い子供がいて、それがネイマールだったのは有名な話です。
日本代表選手がメッシやネイマールのような明らかに何かが違う選手とマッチアップしたときの感想を聞かれた際に、「何をどうすればいいのか全くわからない」という発言をするのは、本当にそうなんだからだと思います。
マラドーナの生い立ち
マラドーナの本名は、ディエゴ・アルマンド・マラドーナ。アルゼンチンのスラム出身で8人兄弟の長男だったと思います。上には4人のお姉さんがおり、初めて男の子が生まれたことに感激したマラドーナの父親は、自身と同じディエゴという名前を付けたようです。
スラム出身ということで、当然、子供の頃はお金に苦労したようですが、誕生日に買ってもらったテニスシューズをサッカーをしている時だけ履いて、普段は裸足で生活していたという逸話が残っています。
そんなマラドーナの転機となったのは9歳の時、地元のチームにスカウトされ、13歳でプロ契約するまでそのチームに所属し、約4年間一度も負けることなく、なんと140連勝したという話です。マラドーナ自身は試合ごとに6、7点は入れていたようですね。
13歳でプロ契約、15歳でアルゼンチンフル代表
神の子の噂はアルゼンチン全土に広がり、史上最年少13歳という異例の若さでプロ契約。15歳。これまた最年少でアルゼンチン・リーグデビュー。そして、フル代表にも選出。数年後にはリーグ得点王、南米年間最優秀選手を2年連続で獲得し、自身が心のチームと呼ぶほど熱狂的ファンであったボカ・ジュニアーズに移籍。当時としては破格中の破格、総額5億円を超える移籍金だったと言われています。
マラドーナはすぐにファンの心を鷲掴みにしましたが、高額の移籍金がクラブの経営状態を悪化させ、僅か1年ちょっとでバルセロナに移籍。当時の移籍金は7億円だったと言われています。
スペインの名門クラブに移籍したマラドーナですが、ここからの数年間は苦悩の日々になるのです。
今回の動画
今回の動画は、90年代アメリカでローファイサウンドムーブメントの中心的存在であったペイブメントの美しすぎるメロディの名曲「Range Life」です。
ペイブメントを最初に聞いたときはデモテープ以下とも言えるサウンドに違う意味で度肝を抜かれましたが、よく聞くとそこに流れているメロディがとてもきれいなことに気が付きました。
特に「Range Life」のメロディの美しさは群を抜いており、かすれるフォルセットまですべて計算された完璧に仕込まれているかのような感覚を覚えます。
しかし、その歌詞は同世代のバンドを実名でこき下ろしていたりとなかなかの内容ですが。
個人的に一番記憶にあるのはバンド解散時のフォトセッションでボーカルのスティーブ・マルクマスが来ていたネルシャツがデビュー時に来ていたものを同じだったこと。
多分、ロッキング・オンだったかと思いますが、ジャーナリストが「まるで俺は何も変わってないぜ」と言ってるかのようだと書いていたのを読んで妙に納得した記憶があります。
9年前と同じネルシャツを来て、9年前と全く同じ人を小馬鹿にしたような笑顔でニヤけるスティーブが大好きでしたし、今も何も変わることなく大好きですし、これからもずっと大好きです。