43回目の12月8日

2023 12/12

こんばんは。前回の更新が4月なので約8ヶ月振りの更新となりました。笑

事務所だと、他の誘惑が多くブログを書く気が起こらないのが大きな原因かと思うので、時々、強制的に旅に出るのがいいかもしれませんね。

今はとにかく琵琶湖に行きたいです。笑

目次

12月8日

さて、今年も12月8日が過ぎてから数日が経ちました。ご存知の方も多いかと思いますが、12月8日は私の最初のロックヒーロー、ジョン・レノンの命日です。

ジョン・レノンは1980年12月8日、当時の住まいであったダコタアパート前で熱狂的ファンだったマーク・チャップマンによって殺害されました。

奇しくも、「ダブルファンタジー」、「二人の再出発」という意味のアルバムを発表した直後だったと思います。オノ・ヨーコと復縁し、活動を再開した直後だったと。

ジョン・レノンの好きな曲を挙げればきりがないのですが、今回はその中でも私を支え続けた一曲を紹介したいと思います。

異端児

私は小さい頃から自他共に認める異端児でした。

以前も書きましたが、家族や親類からも三行半を突きつけられるような状態のときもありました。(今も同じかもしれませんが)

独立する前の最後となった職場でも、スタッフに対し、家に帰って2時間寝て出勤しろとか明らかに異常であることは命令した私も重々承知しています。でも、やりたいこと実現させるため、目標を実現させるためにはどんな障害も乗り越える覚悟だけはありましたし、そのために1日20時間働く必要があるなら、ただ黙々と20時間働くだけです。

一応、結果は出していたので表向きは評価されていたように思いますが、一部の同僚からは明らかに引かれてましたし、ヤツには近づかないほうがいいと思われていたのは誰の目にも明らかでした。体調を崩して辞めてしまった方も居ました。

そんな逆風だらけの状況の中でも、最後の最後まで私について来てくれたスタッフが一人居たことが何よりの救いでしたし、彼女には100%感謝しかありません。

Nothing’s gonna change my world

「お前は変わる必要がある」という言葉をよく言われたのを覚えています。

親類が入れ替わり立ち替わり私の部屋に来て言われたことも明確に覚えています。

もしかしたら、世界中が自分の敵ではないのかと思ったこともあります。笑

基本、一匹狼タイプなので、他人の評価を気にするタイプではないし、ハートはかなり強い方(切り替えが異常に早い)なので、そんな事を特に気にする訳でもなく生きて来ました。

しかし、生身の人間である以上、あまりにも周りから同じようなことを言われると落ち込んだりするもんです。

そんな時、いつも口ずさんでいたのが、事実上の解散から約1ヵ月後の1970年5月8日に発売されたビートルズのラストアルバム「LET IT BE」に収録された「Across the Universe」です。

サビで繰り返される「Nothing’s gonna change my world」の歌詞。
日本語に訳すと「誰であっても私の世界を変えることはできない」。

学生時代、授業中でも休み時間でも通学中のバスの中でも当時の彼女と二人乗りの自転車でも私のウォークマンからは、いつもいつも「Across the Universe」が流れていました。

それは社会人になってからも今も変わりません。

「誰であっても私の世界を変えることはできない」は、言い換えれば「他人に合わせて自分を変える必要はない」だと思います。

今は多様化が認められる時代となり、個性というものが尊重されるようになってきましたが、私が若かった頃など「右ならえ」をしない人間は真っ先に批判の対象となっていました。

だからこそ、ジョン・レノンやボブ・ディラン、モハメド・アリ、アインシュタインなど、かつては厄介者と呼ばれながら、信念を貫くことで時代を変えた偉人たちに憧れました。

Apple大復活のきっかけとなった Think Differentキャンペーン

クレイジーな人たちがいる。反逆者、厄介者と呼ばれる人たち。四角い穴に丸い杭を打ち込むように、物事をまるで違う目で見る人たち。彼らは規則を嫌う。彼らは現状を肯定しない。彼らの言葉に心をうたれる人がいる。反対する人も、賞賛する人も、けなす人もいる。しかし彼らを無視することは誰にもできない。なぜなら、彼らは物事を変えたからだ。彼らは人間を前進させた。彼らはクレイジーと言われるが、私たちは天才だと思う。自分が世界を変えられると本気で信じる人たちこそが、本当に世界を変えているのだから。

以前も書きましたが、デビュー当時「下手くそな歌とギター」と散々批判され、エレキギターに持ち替えた時は熱狂的ファンから「ユダ!(裏切り者)」と罵られたボブ・ディランがノーベル平和賞を受賞するとは誰が想像し得たでしょうか?

ユダ!との罵声に一度はステージ脇に引っ込みながらも泣きながら歌った「Like a rolling stone」や「ミスター・タンブリングマン」がなければ、今のロックシーンは全く別物だったと思いますし、ボブ・ディランと出会ってなければ、ジョンの名曲「ノルウェイの森」は誕生していなかったでしょう。(ジョンはノルウェイの森はボブ・ディランの影響を受け て作った曲だと公言しています)

ちなみに事業を軌道に乗せた今では、誰も彼もが「お前は何かを成し遂げるやつだと思っていた」と言われることが多くなりました。他人の評価なんて全く当てにならないですよね。笑

新しいことや誰もやっていないことに挑戦することが大好きな私はこれからも何かしらの批判を浴びることがあるかもしれません。

そんな時、やはり私のスマートフォンからは「Across the Universe」が流れているんだと思います。

誰に何を言われようと、本気で信じ、最後の最後までやりきった人間だけが見れる景色が確実にあるのです。

この容姿のジョンがみんなが一番知ってるジョンですね

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