ノーウェアマンの秘密 -ビートルズとの出会い-

2022 3/06

こんにちは。かなり久々の更新になってしまいました。基本的には何かきっかけがないと書けない体質みたいなので、今後は書きたいことがあったときに書くようにいたします。

今回のきっかけは文芸YouTuber ムーさんの企画である楽曲分析動画を拝見したことです。
以下がその動画の一つで「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」の構成をゲストである絶対音感を持つ音楽家であるmenonさんが耳コピした音をムーさんの音楽理論とで解析していく動画になっています。

ずっと続けてください

今から20年以上前、当時努めていた会社の同僚とコピーバンドを始めた際、色々な曲をコピーしたのですが、当然ビートルズの曲もやるぞとなった時、お互いに大好きだったとてもメロディが優しい曲がありました。

その曲が「ノーウェアマン」という曲で、日本語では「ひとりぼっちのあいつ」だったかと思います。(ふと思いましたが、エコーズの名曲「ZOO」はこの曲へのオマージュなのかもしれませんね)

学生時代から自他共に認めるビートルズ大好き人間だった私でしたが、長い時を経ても、玄人たちをも絶賛させるビートルズの真の凄さを体感した出来事でもありました。

その発見をした際の感覚は今でも鮮明に覚えています。

ビートルズの音楽の秘密を発見したというエピソードは、結構色んな方が持っていて、あのキャロルの名曲「ファンキー・モンキー・ベイベー」は、ビートルズの「フロム・ミー・トゥー・ユー」のメジャーキーからマイナーキーへの転調を発見したのがきっかけだと聞いたことがあります。

今では一曲の中にメジャーキーとマイナーキーを織り交ぜることは当たり前になっていますが、多くの作曲を音楽理論バリバリのプロの作曲家が行っていた60年代では考えられないことだったようで、転調だけでなく、曲作りにおいて、今では当たり前になっているポップミュージックの基礎を作ったのはビートルズだと言われています。

とても長くなるため、今回は私とビートルズの出会いについて書いてみたいと思います。

目次

ビートルズとの出会い

私とビートルズとの出会いは、今から30年以上も前となります。

当時、高校一年生でサッカー部に所属していたのですが、他の部活でもそうであるように週末には練習試合などが組み込まれていました。

私の通っていた学校は田舎だったため、電車に乗る時間は1時間越えが当たり前だったため、その時間をウォークマンで聴いて過ごす学生が多く、私もいつもウォークマンを持参していたのですが、ある遠征時にカセットテープを忘れてしまったことがありました。

そして、誰かテープ貸してよみたいな私の呼び掛けに答えてくれたのが、一つ上の先輩で、その時、貸していただいたのがジョン・レノンのイマジンという映画のサウンドトラックのテープでした。

もちろん、ビートルズとジョン・レノンの存在は知っていましたが、正直、おかっぱ頭のオールディーズの人たちみたいな位置付けで、自分がテープを忘れたのがいけないのだし、せっかく先輩が貸してくれたんだから、長い車中、何もないよりいいか程度な感じで聴き始めました。

1曲目のリアル・ラブは正直全く印象に残りませんでしたが、2曲目の「ツイスト・アンド・シャウト」で衝撃が走りました。

曲自体は有名な曲であるため、聴いたことがありました(ビートルズが歌っているのは知りませんでした)が、メロディや演奏がどうこうより、すべてを吹き飛ばしてしまうかのようなジョンの歌声に圧倒されました。

「なんだ、この声は!?」

当時、15歳の私にはそれがまるで宇宙人の歌声であるかのように強烈に脳裏に焼き付いたのです。

巻き戻しては再生を何度繰り返したか。

その他、アルバムに収められていた「ストロベリー・フィールズ・フォエバー」のようなファンタジーな世界観を持つ幻想的な曲もあれば、「マザー」のような狂気的叫びの曲(放送禁止歌だったようです)、「ウーマン」のような優しさに溢れた曲もあり、ジョン・レノンという人間に完全に魅了されてしまったのです。

ちなみに、ジョン・レノンと言えば、愛と平和の歌を歌う人とイメージも強いかと思います。もちろん、それもジョン・レノンという人間の一部であるのは間違いないかと思いますが、実際はかなり異なるようです。(最初の息子であるジュリアン・レノンが「父を恨んでいた」と発言をしているインタビューを読んだこともあります)

実際のジョン・レノンはかなり自由な方だったようです。(私も人のことは言えませんが)

これは今の世代でも概ね同じだと思いますが、皆が知っているビートルズの曲「イエスタデイ」「レット・イット・ビー」などはポールの曲であり、その2曲こそがそれまでのビートルズのイメージだったのです。(ポール・マッカートニーを否定しているわけではありません。ポール・マッカートニーこそ地球の歴史の中で最も優れた音楽家だと心の底から尊敬しております)

そして、週明けの月曜日の放課後、母親から「もらった」一万円札を手に友達を連れて唯一のレコード屋に行きました。

そこにはビートルズのすべてのアルバムの在庫があったので、ファーストアルバムである「プリーズ・プリーズ・ミー」、最高傑作だと聞いた「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」、そして、シングル集であるパスト・マスターズの白を購入。(ちなみに、その後、このレコード屋でボブ・ディラン、ローリング・ストーンズ、エアロスミスなどを購入することになります)

その日はクラブをサボって早めのバスで家に帰り、部屋のCDプレーヤーの前で釘付けになっていたのを覚えていますし、次の日から私のウォークマンからは、通学中のバスの中、休み時間、授業中、放課後、いつでもビートルズの音楽が流れることになりました。

数カ月後、「ジョン・ウィストン・レノン」「ジョン・オノ・レノン」というジョンの2冊にも及ぶ分厚い伝記本が私が自分の意思で読んだ初めての本となり、高校生として初めて迎えた夏休み、私は初めてのギターを買うためのアルバイトを始めるのでした。

今回の動画

今回の動画はもちろん、1963年3月22日リリースされたビートルズの記念すべきファーストアルバムのラストを飾る「ツイスト・アンド・シャウト」です。

当時は録音できるトラックが2チャンネルしかなかったため、片方のチャンネルに演奏、もう片方のチャンネルに歌を録音したようです。そして、この曲はレコーディングの最後に録音され、たった一回のテイクでジョンが声を潰したという逸話が残っています。

とにかくデカイ音で聴いてください!

車の中でフルボリュームで聴いてください!

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