どこで生きるかという選択

2021 10/17

コロナ禍の影響で遅れに遅れ、やっとのことで2021年6月に松阪オフィスを開設し、活動拠点の中心を松阪に移して約4ヶ月が経ちました。当初はホテル代を抑えたり、常軌を逸した移動時間の短縮が大きな目的でありましたが、そういったことより、自分でも思ってもみなかった心境の変化がありました。この4ヶ月をどう過ごしたか、今後、どのようにしたいかを書きたいと思います。

目次

不安との付き合いかた

まず、久々の一人暮らしで実感したのは、自分が仕事以外は何もできない人間だということでした。(仕事も特にできません)

ゴミの分別や出し方もコインランドリーの使い方もわからない。(コインランドリーは3回目のトライで克服しました)

蒸気でシャツのシワを取る器具は未だに使い方が全くわかりません。(誰か教えてください)

また、ウェブ業界はもともと利益率が格段に良い業種ではありますが、事務所を開設することで、固定経費が跳ね上がることに対する不安も多少ありましたが、そんなものは一瞬で消えました。

というか、不安に使う時間があるなら、もっと他のことに使うべきであって、どこで何をしていようと「不安」とは死ぬまで付き合っていかなければいけないのです。

ちなみにお仕事のお問い合わせは確実に増えましたし、特に四日市や名古屋といった遠方からのお問い合わせが増えました。

デザインを気に入ってお問い合わせをいただくことが圧倒的に多いことが本当に嬉しいですし、感謝しかありません。

情報が整理されているという意味でデザインは確実にビジネスに影響を与えます。

とってもとっても大切なことなので、もう一度書きます。

情報が整理されているという意味でデザインは確実にビジネスに影響を与えます。

当初は作業場所プラスホテル代わり的な位置付けでワンルーム(お風呂とトイレは別です)にしましたが、お客様がこんなに訪問してくれることを想定していなかったため、2DKくらいは必要だと、さっそく引っ越し先を探していたりします。

当然、大きな部屋に引っ越すことで、経費は上がる訳ですから、また、不安が頭を過ります。(一瞬ですが)

常に何らかの不安の中で生きるしかないのなら、自分の気持ちに対し、真っ直ぐでいたいですね。

生きている限り、不安が完全に解消されることなどないのですから。

より自由を感じる

これは完全に予想外でしたが、本社(紀北町)に居たときより、より自由を感じるようになりました。

それは一人暮らしをしている(もともと十代の頃から好き勝手自由にしてきましたが)からといった単純なことではなく、物事の考え方の自由度が増していることに気がついたのです。

以前、このブログの記事で「誰と生きるか?」が重要であると書きましたが、プラス「どこで生きるか?」ということも人生において非常に重要なんだなと。

代わり映えしない自分の人生をほんのちょっとでも変えてみたいと思っているなら、とりあえず引っ越しをしてみるのも良いかもしれませんね。

それは大きな移住でなくても、親との同居から隣町のアパートへ引っ越すでも良いと思います。

行動範囲が広がる

松阪市は三重県のほぼ中央に位置するため、以前と比べて、打ち合わせ時間にも余裕が生まれました。

以前は津市で午後から打ち合わせがあると行き帰りの移動時間を含めると一日掛かりでしたが、今は打ち合わせのビフォーアフターを制作時間に充てることができます。

また、夜10時以降は誰からも連絡が入らないため、制作においても集中力が増しました。

特にコーディングスピードは倍以上になったと思います。

時間に余裕ができるため、本を読む時間も増えましたし、行動範囲も広がりました。

先日も名古屋在住の野末泰弘さんと約2年振りに会い一升瓶でMie WordPress Meetupの再開の打ち合わせを行いました。

次は11月に名古屋で打ち合わせ予定です。

そう、名古屋に電車で1時間ちょいなのは、本当に感動もんです。

以前、栄パルコまでインディーズCDを求めて3時間近く車を走らせていたことを思い出しました。

あと、大好きなすみれにもちょくちょく行けますし、ココイチにいたっては車で5分です。(笑)

田舎に行けば行くほど、テレビと学校で植え付けられた「間違った常識」に囚われ、自分で自分の時間を無駄にしてしまっている人を多く見かけますが、人はもっと自分自身に対して自由であるべきだと子供の頃から思っていましたし、それは今も変わりません。

世の中には理不尽なことが多いですし、基本、良いことより悪いことの方が多いもんです。

どんな選択をしても、その責任を追うのは自分自身なのですから、その選択は自由でありたいですね。

今回の動画

1994年に発表されたストリングスが印象的なオアシスの名曲「Whatever」です。

日本でもいまだにCMなどの挿入歌として使われているため、ほとんどの方が聴いたことがあるのではないかと思います。

個人的には、「サム・マイト・セイ」や「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」と並ぶオアシスの代表作だと思います。

時代のアイコンであったカート・コバーンが自殺し、次に死ぬのは誰だ?みたいな雰囲気の中、マンチェスターから現れたあっけらかんとした5人組が発表したファーストアルバムは全曲シンプルなロックの名曲で瞬く間に大人気となりました。

その後に発表された、この曲でオアシスの人気は不動のものとなり、全世界で5000万枚以上のセールスを記録することとなるセカンドアルバムに繋がるのです。

オアシスといえば、メインソングライターであった兄ノエル・ギャラガーも認めていた通り、曲は良いが歌詞はイマイチというイメージですが、この曲の「お前が何をしようと何を言おうとなんだっていいんだよ」という歌詞はオアシスの存在意義そのものなのではないのかなと思います。

つまり、「なんだって自由にやればいいんだよ」ってのが、オアシスが唯一伝えたかったことなんだろうなと。

また、ギャラガー兄弟と言えば、子供の頃に父親に虐待されていたことで知られていますが、そんな中、自分たちの絶対的な味方でいてくれた母親をとても大切にしています。

その母親のエピソードで記憶に残っているのが、オアシスが有名になって億万長者になった二人の息子からそれぞれ、ロンドンとスペインにでっかい家をプレゼントされましたが、それを断固拒否。

その代わりとして、子どもたちが育った市営住宅の一室を買い取ってもらったそうです。

その理由が「あの子たちに何かあった時に帰ってくる場所が必要だから」だと。

ギャラガー兄弟のいつでもどこでも自分自身でいれる逞しさはこの母親の遺伝なのでしょう。

丸坊主のノエルは貴重です。(笑)

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